INDEX   P R O F I L E   >>>  山本 重也の趣味(スノーボード歴)                    
 


1989>>  イラストレーターの先輩とスノーボードを始める(使用ボード/ミストラル)
 その当時実際にボードで滑っている人をみないまま北海道トマムにて初めてトライ!
 結果は雪まみれ打撲で『ぼろぼろにくだけ散る』とゆう感じの体験をする。
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1991>>  クレッグケリーの滑りをビデオで観て腰を抜かす。
 早速ボードをKELLY AIR(BURTON)に乗り換えた。
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1992>>  ピターバウアー、ジャンネルバの滑りをビデオで観て腰を抜かす。
 早速ボードをPJ5.6(BURTON)に乗り換えた。
 アメリカ、コロラド州ヴェイルにてアルペンボードデビュー。
 スキーエリアのデカさに腰を抜かしつつカービングターンの虜になる
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1993>>  ニュージーランド、Mt.ハットで日本を代表するスノーボーダーMAC遠藤氏に出会いコーチを受ける
 (このシーズンはHOT/locical)ヘリコプターで飛び
ニュージィの氷河 を滑る。 ぶっ飛ぶ様な
 快感を味わいパウダースノーの虜になる
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1994>>  カナダ、ウイッスラーにて飯田フサキ氏と出会い
 ハイクして山頂からのライディングをするがこれにははまらない
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 ウイッスラーでは今年2006年の冬期オリンピック、スノーボード・フリースタイルの日本代表になっている
 成田童夢くん、今井メロちゃん兄妹と出会っている。当時ちびっ子だった彼等が日本代表になるなんて
 夢にも思わなかった。そう言えば童夢くんのボードに対する興味は普通じゃなかったなぁ。
 彼等から貰ったミサンガはとっくに切れて無いが残しておけばよかったかな。。。
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1995>>  MAC遠藤氏より彼のプロデュースするボードのグラフィックの依頼を受ける
(パイオニヤ-モス/synchro43,51,59,64) 95-96モデル / 96-97モデル / 97-98モデル
                     
(ボクが制作に携わったボードを見る?)
 
 以後95-96年モデルを含め3シーズンこのボードの制作に携わる。ボードテストにも同行毎年夏に
 ニュージーランド(Mt.ハット)へ滑りに行く(ミスティ武川氏には大変お世話になりました。)      

 武川氏(ミスティー)はその後自身のブランド 『 Gray Snowboards 』(スノーボードメーカー)
 
を設立し活躍されていす。 「 Gray Snowboards 」のHP


 
ニュージーでは多くのプロボーダーの滑り(様々なスタイルを)を目の当たりにし腰を抜かす。
 この経験が僕の滑りを変えた。
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1996>>  日本スノーボード協会『マナーポスター』イラスト制作
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1998>>  岩手県安比にてビッテリーターンが出来るようになる(夢の様なライディングを楽しむ。)
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2001>>

 日本スノーボード協会『安全対策ハンドブック』イラスト制作

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壁に突き当たることは誰にでもあると思います。その大半の壁を自分自身がつくり出していると気が付いたのも

スノーボードから学んだことの一つです。様々な斜面、雪の状態、天候、板の状態、自分自身の体調、などなど

同じ条件で滑ることは二度とあり得ないです。そして様々な場面を様々な方法で滑り降りて行く、山の上から下

まで一気に、コースを選ばず目の前にある斜面を滑るのです。それが自然な気持ちで出来ることが本当の自分の

スタイルになるのだと考えてきました。これはイラストレーションという職業にも共通するものではないかとい

つの頃からか考えるよになりました。ボクがこの様な経験、考え方そしてそれを普段の生活や仕事に応用出来た

のはイラストレーターであったからだと思っています。そう考えると今まで出会ったすべての人達、ボクを支え

てくれた人達に感謝の気持ちを持たずにはいられません。これからもイラストを軸に様々な経験を重ねることで

良い絵が描ける様にしたいと思っています。
                                             山 本 重 也



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ゲレンデで撮影した写真

スノーボードのイラスト
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